多様な「性」が分かる本 編著者:伊藤 悟・虎井 まさ衛 発行所:㈱高文研から引用

Qカミングアウトしたいのですが、どうやってしたらいいのでしょうか?

A カミングアウトという言葉から説明しましょう。”coming out of the closet”

の略称として生まれた言葉で「クローゼット 物入れ⇒小さく囲われたものが語源 日本語では「押し入れ」のイメージに近い)カラー外へ出てくる」ことです。

「クローゼット」は、セクシャルマイノリティが自分の「性」のあり方を日常生活の中で、表明・表現することができずに、多数派である「身体の性と心の性が一致している」「異性愛者」のフリをして生活せざるを得ない状況(閉じ込められている!)を指します。

したがって、外来語を何でも元の意味を歪めて「和風」にしてしまう日本では、単なる「秘密の告白」として「カミングアウト」が使われだしていますが、本来は、ただ自分が同性愛者やトランスジェンダーだと、人(社会)に告げるだけのことではありません。「閉じ込められている」状況から出ていくことが目標なわけですから、自分の「性」のあり方を知らせるだけではなく、知らせた人との関係を新しくつくり直すことまでを含む長い過程を「カミングアウト」と言うのです。

どんな人間関係でも、相手に関する新しい情報を共有したら、関係性は変化して当然です。ずっと変わらない固定的な関係というのは想像できません。

「あなたが同性愛者・トランスジェンダーでも今までと関係はかわらないよ」とカミングアウトを受け止めた側が言う時、「お互いの変化に応じて関係を変え、よりよくしていく」という前提があればいのですが、時として「あなたが同性愛者・トランスジェンダー であることは、とりあえず棚上げしておいて、全く触れずにそれまでの関係を続けることになってしまうことがあります。自分が友人にゲイだと言ったのに、相変わらずその友人はテレビの「ホモネタ」に笑うのでショックを受けたなどということも少なくありません。

つまり、お互いにとりわけ多数派の側に、相手のことをきちんと理解する努力が求められることになります。社会が与える情報の圧倒的な部分が異性愛に関するものですから、私たち少数派の側の情報が知られていないのが現実だからです。

こうした点から考えて、カミングアウトは慎重にならざるを得ません。お互いに理解しあおうという基本的な了解が共有されていない相手に対しては、自分の「性」のあり方に対して理解を求めていく回路がないかもしれないからです。

また、カミングアウトは、性という簡単には人に話さないプライベートな部分を話すとはいえ、決して「秘密」を告白するわけではなく、自分を語るわけですから、自分が 同性愛者・トランスジェンダー であることに対して肯定的で、自信を持っていないと、伝わりにくくなりがちです。

私も友人たちにカミングアウトし始めた頃、「こんな世間様に顔向けできない部分がある私でも許してください」といった感じできわめて卑屈になっていたことを苦々しく思い出します。結局そうした気持ちでは、その後安心しあえる関係が

つくれなかったことが大半でした。ですからカミングアウトは対等な人間として、自分をさらに深く理解してもらうんだ、というすがすがしい気持ちになってからのほうがいいかもしれません。

相談できる仲間をもつことも不可欠です。緊張にあふれる「最初のひとこと」を支え、長い過程で生じる悩みを話せる相手がいるといないとでは雲泥の差です。お互いに知恵を出し合わないとやっていけないほど、カミングアウトは、ひとり一人個別に異なるものであり、全てに通じるマニュアルなどないからです。

だから、時間的余裕がある時は、準備をじゅうぶんにしたほうがいいでしょう。自分では説明しきれない「性」に関する科学的な説明や日本におけるセクシャル・マイノリティの状況などは、本や資料を用意して読んでもらうのも有効です。そして、一回話して終わりではなく、その後も事あるごとに理解を深めてもらうための働きかけや率直な話し合いが必要です。その時、遠慮をしないほうがかえって後でうまくいきます。

相手に失礼なことを言われた時は、「傷ついた」「悲しい」といった感情表現をしましょう。それを表現せず摩擦をさけていると、ストレスを溜めることになり、逆に人間関係を希薄にしていきます。一般的に言っても、友人であれ、親子であれ、ケンカなどのぶつかり合いを経ないと、より深い関係になりにくいものですから(それにしてもつくづく思うのは、こうした関係を創れる相手は一生でもそう何人もいないでしょう。一方、多数派は、「カミングアウト」することなく、何の屈託もなく異性愛を語れる条件をもっていることがどれだけ重要なことかに無自覚な場合が多く、その差にがく然とします。)

こう考えてくると、とりあえずカミングアウトしない、という選択肢もあることになります。自分の気持ちや心の準備、相手との関係性、周囲の状況(職場や学校や地域によってはそこにいづらくなってしまうことがあります。)などを考え合わせて当分見合わせるという場合もあるでしょう。カミングアウトするかしないかは、その人の生き方の選択ということにもなります。ただ、いつも「うしろめたい」気分で生きていくことより、「自分らしさ」をのびのびと表せるほうが充実した人生であることは確かです。カミングアウトが大きなハードルにならない社会の実現が求められるのは言うまでもありません。:伊藤 悟